2009年

11月

26日

第5話 ずっこけ珍道中2

 ロビーでは僕らを迎えにアイザックという18歳の青年が来ているはずなのだが、仙さんしか彼のことを知らない。僕ときくちゃんは仕方なく、ロビーで仙さんたちが出てくるのを待った。20分ほどして仙さんたちは無事釈放されて、ロビーにやってきた。3人とも英語が全然できないので、係官の質問に答えられずラチがあかなかったので、別室に連れて行かれたということだった。

 仙さんの姿を見ると、僕らの近くにいたガタイの良い男性二人組みが立ち上がった。栗毛色の髪の男性と黒髪の東洋系の男性だ。

「仙ちゃん」とたどたどしい日本語で栗毛色の男性は仙さんに挨拶した。

「大きくなったなあ、アイザック」と感嘆する仙さん。その青年、アイザックに会うのは約5年ぶりということ。

アイザックは空手の有段者で忍者も大好きという、1度日本にも来たことのある日本びいきの青年だった。さらに来年には日本に留学するのだとか。アイザックの友人であるケンジは、日系カナダ人で日本語もペラペラの35歳。僕らをダウンタウンに連れて行くために、車を出してくれたのだという。

 

 僕らは1台のタクシーとケンジの車に乗り込み、2台でダウンタウンのユースホステルを目指した。ユースホステルはドミトリーで一人34カナダドル(約3400円)。宿に荷物を詰め込んでから、街のインド料理屋へ食事に出かける。ビュッフェタイプでまずまずの美味しさ。15カ ナダドル+チップ4カナダドル。貧乏な僕らにはかなりの出費となった。その後、ユースから徒歩2分の距離にケンジが彼女と住んでいるマンションがあるの で、みんなでお邪魔した。ちょうど同棲している彼女が中国に帰国していないのだという。僕らはみんなでビールを飲み、楽しく談話して翌朝早いということも あり長居せずに辞去した。ケンジとはここでお別れだ。ユースの部屋には2段ベッドが2台しかなく、アイザックを加えて6人になった僕たちは同じ部屋には泊 まれないので2室に別れた。同じ部屋に他の旅行者がいるので、何かと気を使った。

 

 僕は深夜2時頃起きてトイレに行った。もちろんトイレには誰もいない。夜の静けさが建物を包み込んでいるように、物音ひとつしない。蛍光灯がチカチカと時折点滅を見せる。便座に座って、目の前の扉を見ると、日本と違って扉の下の部分が30㎝ ほど空いている。覗かれたりしないのかなと日本のトイレに慣れているだけにしょうもないことを考える。用を足して、小部屋を出ようとすると、なぜか鍵が開 かない。鍵が壊れているのだ! もちろん深夜帯のため人がトイレにやってくる気配もない。絶体絶命のピンチ! こういう時こそ、冷静になるべきだ! 僕は この窮地をどう脱出するべきか冷静に考えた。

「そうだ!」

 気になっていた扉の下部分の空きスペースに目をやった。なんとかいけるかもしれない。僕はさっき気になっていた扉の30㎝のスペースから外に出るというのを考え付いた。さっそく這うようにして外に出ようとした。なんとかいけそうだ。体が半分ほど外に出た時、キ~と音を立てて扉が開いた。そこに残されたのは、間抜けな僕の姿だった。何事もなかったように僕は立ち上がりトイレから出た。

 

 朝4時半に起床して5時にユースをチェックアウトした。タクシー2台で長距離バスターミナルへ。前日から予約していたタクシーがなかなか現れず、5時20分頃バスターミナルに到着する。が、30分発だと思っていたバスだったが、実は20分発だったということを知る。バスはもう出発してしまっていたのだ。

マ ナが紙に書いてくれた時間をみんな疑うことなく、誰一人としてチケットの時間を確認していなかったのだ。途方にくれて、僕らは4時間程バスターミナルのベ ンチに腰掛けて時間をつぶした。というのも、僕らは金がないから、今日できることなら荷物だけでもケンジの家に置かせてもらおうと考えたのだ。そして、あ わよくば泊めてもらおうと。僕らは、8時過ぎに電話したものの、ケンジにはつながらない。8時半を過ぎても9時になっても。僕らはしびれを切らして、みん なでケンジのマンションまで行くことにした。

 

マ ンション入口のインターホンを押してもケンジは出ない。僕らはマンションの前で1時間ほど様子を伺うことに。それから1時間ほどで、なんとかケンジとコン タクトが取れたものの、今日はケンジの家でポーカー大会があるらしく、終わるまで僕らはどこかで時間をつぶさなくてはならなくなった。僕らは荷物だけ置か せてもらえたらそれだけで満足だった。夜まで近くにファミレスのデニーズがあったので、そこで時間をつぶしていようと思った。

ケ ンジはそんな僕たちに気を使ってくれて、僕らが休める場所を確保してくれた。それは彼の友人クリスのマンションだった。クリスは夜まで出かけていないの で、その間部屋で過ごしていていいのだという。みんな今日は朝早く寝不足というのもあり、クリスの部屋でのんびり昼寝させてもらった。クリスの部屋からは バンクーバー湾が臨め、10階というだけあってそこからの眺めは映画にでも出てきそうなロマンチックな景観だった。

 結局ケンジはポーカーの時間を短縮し、夕方頃クリスの家に迎えに来てくれた。僕らは恩返しの意味で食材を買ってきて、ケンジに夕飯をふるまった。単なる旅行者である、友人の友人レベルの僕らを泊めてくれたケンジにはただただ感謝するばかりだ。

 

 翌朝はさすがにバスに無事乗り込み、目的地ポートマクニールへの長旅となった。何度も乗換えがあり、席もバラバラ、ドライバーの英語も早すぎてまるで聞き取れない中、なんとかポートマクニールに辿り着いた。

 みんなクタクタの体でバスを降 りると、「よく来たね~」と誰かの声がした。一足先にハンソン島に来ていたマナときみちゃんがここまで迎えに来てくれたのだ。女性陣は長旅の疲れと安堵感 から目を潤ませて、マナときみちゃんとハグしていた。僕もマナにハグされて、本当に自分がカナダにやってきたのだという実感がわいてきた。

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2009年

11月

26日

第4話 ずっこけ珍道中

 結局、僕はハンソン島に行くことに決めた。それはとても自然な流れのような気がして、腰の重い僕ではあるが、これは行くべきだと当然のように思えるようになっていた。僕は行かなければならないと。それにこの島に行くことができるのは、なかなか簡単なことではない。縁がなければ、行くことができない場所なのだから。

 

 日本を出国する前日に剃刀で頭をスキンヘッドにした。ハンソン島では風呂に入れないということなので、なるべく短い方がかゆくならなくて済むのではと考えたのだ。当たり前のことだが、手のひらで頭をなぜると、いつもの毛の感触がなく、肌に触れているという感触だった。

 羽田で仙さん、よーよ、なっちー、きくちゃんと合流。このメンバーでハンソン島を目指すのだ。誰一人英語が流暢に話せる人間はいない。長いフライトの末、なんとかバンクーバーに辿り着くと、最初の難関がやってきた。入国審査である。僕は旅慣れているから大丈夫だが、きくちゃんを除く他のメンバーは英語が苦手。中でも仙さんは英語が全くダメ。ただでさえ、風貌が仙人かインディアンの酋長にも見えるような人だから、大丈夫かなと心配になる。

 

僕はつかつかと歩いて入国審査官にパスポートを渡した。パスポートをペラペラとめくりながら税関の女性は僕の顔をちらちら見ながら問してきた。

「カナダではどこに行くんですか?」

Hanson Island」と僕は言った。そしてその他のメンバーも同様に言っているのが聞こえてくる。が、審査官の誰一人としてハンソン島を知っている人はいないのだ。審査官同士が「知っているか?」と相談までし始めた。僕たちはカナダ人なんだからみんな知っているのだろうと思っていただけにびっくり。カナダの一般的な観光地ではないから、ほとんどの人が知らないのだろう。

 続け様に「職業は何?」と聞かれたので、「グラフィックデザイナー」とあらかじめ用紙に記入してある当たり障りない職業を答える。もちろん仮の職業である。

 が、スキンヘッドの僕を見て、あからさまに「You are graphic designer?」と疑念を抱いた顔で審査官は何度も聞いてくる。人を見た目で判断するとは失礼な人だなと思ったが、堂々とグラフィックデザイナーであると胸をはって、アーティストオーラを出してみた。とりあえず、しつこく問いただすので下手な英語でまくしたてた。そのおかげもあってか、なんとかパス。きくちゃんも旅慣れているのでパスしたが、仙さんとよーよ、なっちーは見事にひっかかり、別室へ連れて行かれた。

 僕ときくちゃんは立ち止まらずに進んでくださいという空港職員の言葉を無視できず、仙さんたちより先に入国手続きを済ませて、空港ロビーに出た。

 

 

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2009年

11月

26日

第3話 迷える日々

 ただ闇雲にいろいろな場所に出かけては人に会っている時期があった。きっと何かを探していたのだろう。探し物が何かはっきりわからないにもかかわらず、僕は夜の街を徘徊したり、飲み屋を散策したり、イベントがあれば出かけて行った。

 夏をそろそろ感じ始める頃、金沢から友人が東京に遊びに来た。共通の友人を交え、僕らは3人で国分寺にあるカフェ・スローというオーガニック系 のカフェに出かけた。1階がカフェスペースで、2階が展示スペースになっている。食事を終え、1階の雑貨などを見た後、一人で2階へ上がる。ちょうどヘン プ素材の服の展示販売会が行われていた。服は女性物がほとんどだったのと、服にかけるお金が今ないというのもあり、鑑賞もそこそこに1階に下りようとし た。

 たまたま足元に展示してある写真に視線を落とした。長い白髪と白ヒゲを蓄えた白人男性が、緑豊かな景観をバックに座っている写真だった。なぜかその写真に強く惹かれ、手にとって僕はじっと見ていた。
「それ、私の父なんです」
 後ろから突然声がした。振り返ると、白人とのハーフらしい美しい女性が立っていた。
「‥‥で‥‥に住んでいる父なんです」
 美しい女性に突然話しかけられて緊張したのもあり、僕はうまく聞き取れなかった。僕が手にしていた写真に写っていた男性が、ウォレスだった。そ して、ウォレスの娘であり、ヘンプの洋服などを販売していたのがマナだった。特に何も購入しなかったが、彼女の出したノートに連絡先とちょっとしたイラス トを書いてそこを後にした。

 マナは日本人とカナダ人のハーフで、ダンサーである。ダンス以外にもヨガや瞑想、絵など幅広い分野で活動していた。その後、マナと連絡を取るようになったことで、ヨガや瞑想のマスターである仙人さんとも出会い、ヨガや瞑想の他に農業へも関心を抱くようになった。

 マナという生き物は、日本で普通に生活していたら、まず作り出すのは不可能だろう。マナは全てを包み込む菩薩のような母性を持っていて、何にも 属さず自由奔放。そのキャラクターは僕の思考の範疇から飛び出たものだった。いったいこの女性はどういう環境で育ち、両親はどういう人たちなのだろうと僕 は興味を抱いていた。
「来年8月末ぐらいにハンソン島行くんだけど、ハジも行く?」
 マナは年末頃だったろうか、僕に聞いてきた。
 よくマナから話には聞いていたが、自分がそこに行くなんてまだ想像もできなかった。
「行きたいけどね、まだわからないな」
 僕はそうお茶を濁していた。お金の問題も確かにあったが、それ以上に実感がわかなかったのだろう。だが、新年を迎え、勤めていた広告代理店を辞めた頃には、ハンソン島へ行くという意志も自然と固まっていた。

写真は、若き日のウォレス。
北極でのアザラシ保護活動成功を祝して。

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2009年

11月

26日

第2話 遠き島

 ハンソン島はカナダのバンクーバーからバスで10時間+民間タクシー30分

+クルーザーで30分とひじょうに行きにくい場所にある。個人旅行ではとても

行けない。というのも、クルーザーをチャーターしないことには島に渡れない

のだ。クルーザーのチャーター代は片道約600ドルとかなりの高額。しかも

クルーザーを仮にチャーターしたとしても、島で泊まるところも食料もない。

完全にキャンプの準備と食料を確保し、しかもクルーザーを自分でチャーター

しなければならないのだ。

 クルーザーはハンソン島の岸辺に向けて徐々にスピードを落としていく。

モーター音が船体を通して体に伝わってくる。島の湾内にはもちろん港も

なく、岸近くは水位がないためクルーザーを寄せるのもひと苦労。一歩間

違うと、海底の石などに船のスクリューをぶつけて、傷つけてしまう可能

性もある。潮の満ち引きも関係してくるので、クルーザーを接岸していら

れる時間はそれほど長くはない。島への上陸の喜びも束の間、僕たちはク

ルーザーから荷物を手渡しで すぐさま運び出した。総勢9名分の食料だけ

あって、かなりの量。荷物を島に降ろすと、クルーザーは颯爽と去ってい

った。次にクルーザーの船長と会えるの は、2週間後になる。

 みな長旅で疲れてはいるが、クルーザーから運び出した荷物を分担して持つ。

そこからキャンプまではさらに20分の山道。疲れているので、顔を上 げてゆっくり

景色を堪能するだけの余裕もなく、背の高い針葉樹の森閑とした中をただひたすらに

歩いた。どんどんキャンプが近づくにつれ上り坂になり、2人 がなんとか通れるほど

の小道となっていく。リュックを背負った上に、片手に食料を持っているので、肉体的

にはかなりきつい。やっとの思いでキャンプの入り 口に辿り着いた。そこには

『Earth Embassy』という木看板が立ててあった。

ついに着いたのだ! 

 キャンプに入っていくと、大きなビニールテントが左手に見え、さらに進むと右手に

木造の屋根付き団欒スペースがあり、その奥にメインの小屋が見えた。
 キャンプのボスであり、僕たちをここまで導いてくれたマナの父親でもあるウォレス

が迎えてくれた。
「ウォッホッホッホ」と笑いながら、サンタクロースのような白ヒゲのウォレスの顔を

見ただけで、僕の疲れはどこかに吹き飛んだ。みんなも同様だった。
「Welcom to Yuksum Island(ハンソン島の別名)」
 ウォレスはやさしく微笑んだ。

 僕らは一人ずつ握手を交わした。ついにあの写真の男性と出会えたのだ。僕は一人

気持ちが高揚していた。いや、僕だけではなかったはずだ。挨拶も 済んだところで、

男子にはまだ仕事が残されていた。持ちきれなかったクルーザーから運び出した荷物

が、まだ岸にあるのだ。またスタート地点まで戻らなくて はならない。僕とカナダの

青年アイザック、お仙さんの3人で取りに戻った。往復40分の道のり。陽が落ちて

きつつある。僕らは急いで悲鳴をあげている体に むちうって、来た道を戻った。

2009年

9月

07日

ハンソン島 1話 心の旅 

ハンソン島に到着。荷物の運び出しをしている一行
ハンソン島に到着。荷物の運び出しをしている一行

 今なぜ自分がここにいるのだろうと僕は不思議に思っていた。水飛沫の向こうには、ひょんなことから来ることになったハンソン島(カナダ)が見え始めた。クルーザーは海を切り裂くようにして進んでいく。これから2週間、この原生林が残る住民わずか数名の島にステイすることになる。ほぼ無人島に近い、この島での生活に心踊るとともに心配事も僅かだがある。

  風呂もなければ、ちゃんとした部屋もなく、集団でのキャンプが強いられる島での生活が自分に耐えうるか。さらに一人旅は星の数ほどしてきたが、集団生活は あまり経 験がない。キャンプ経験という点なら日本ですらほとんどない。さらには、9月のハンソン島の寒さに僕のドンキホーテで買った950円寝袋が耐えうるのか。 心配は尽きない。しかし、心配よりも期待と喜びの方が圧倒的に強い。自分が今、夢のハンソン島に辿り着くのだという高揚感が、否が応でも僕を興奮させる。

 クルーザーが島の入り江に入った時、右手に見えるレッドシダーの頂上に白頭鷲が悠々と降り立った。その2m近くある勇壮な姿で、まるで僕たちを迎えてくれているかのようだった。

 

 

 

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